自分の居場所に自分の心があるとは限りません。
心ここにあらず。
魂の抜け殻みたいな自分では何もできません。
常に自分の中心、中心だけにど真ん中へ心の居場所を確保してあげたい。
ある意味、心が自分から離れてしまって居場所がない状態なのが、うつ状態であったり、病に苛まれている時間なのかも知れないと思うようになりました。
言い換えれば、自分軸を持つ。
自分はこれでいいのだ。少なくても自分としては正解なのだ。
そう確信して生きていくことが大事かな。
病気、仕事、お金、寂しい、ツライ、その状態は自分の環境を俯瞰してみればそうなのでしょう。
でも自分中心に捉えたら、本当にそうでしょうか。
例えば、〇〇がなくて大変だと他人に思われても、自分としては大変とは思っていなかったりしませんか?
感受性が強い人はどうも物事を俯瞰して考えているきらいがあると思う。
社会的な側面から自分の存在価値を見出すともいえそうです。少なくても自分はそうです。
俯瞰せず、自分中心から物事を見たり考えたりすると、感じる結果が異なることに気が付きました。
「〇〇だと思ったよ」
そう?
「そんなことないよ」
そう答えることが増えれば、自分の心の居場所は自分の中、いつも中心にある状態だと考えるようになりました。
良い意味の自己中心型になろう。
試験的に開設したnoteにも綴りました。