訪日客に思う、円高のアメリカ旅行’93

メメント・モリ
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このブログでは、私が心にビッビッと来たことをテーマに書いていいます。書く度に文体を変えたり気分どころか気ままに書いています。

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今日のニュース(2024年6月19日)
姫路城は「二重価格」導入を検討、増える訪日客への対応を模索

二重価格を施設毎や観光毎ではなく、日本入国時に税金として取ればいい気がする。実際には金額だけの問題でも無さそうだけど、日本人が国内を利用するのと、観光客は別にするのは自国の都合で構わないと思う。

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円安が長らく続く中、円高だった頃を思い出した。今では信じられない1ドル100円以下を知っている世代だ。

そんな円高基調の頃に見たアメリカは、不況で仕事がない話だったし、アメリカの有名観光地には日本人の団体に出くわすこともあった。

なんとなく今の日本と真逆だった。そんな話。

恵まれたアメリカ旅行

1993年のことだったろうか、友人とアメリカに旅行した。今では音信不通になってしまったが、波長の合う親友だった。

大学の友人と男二人で旅行はおかしいと思われるかもしれないが、本来は独りで行く予定だった。なんてことはない。実の叔母がアメリカ人と結婚して住んでいたから、そこを訪れるだけの話だった。

そんな話を親友の、エックス氏(とでもしておこう)に話すと直ぐに食い付いてきた。一緒に行ったら楽しかろうと思ったのと、お互いの感性が凸凹で合うと感じており、実は密かに誘っていた。

彼は二つ返事でこういった。

「行く。そんな機会は滅多にないじゃん?」

確かに、その通りだと返答した。

叔母の家を拠点に、ビザが要らない約90日間を予定していたから、そんな機会は滅多にない。充分にアメリカを楽しめると踏んでいた。

全日程をホテルに滞在では相当のお金がかかる。学生の身分だから、ホテル利用では用意できるお金から考えると1週間がやっとだ。

叔母宅に宿泊費は払わない代わりに、小さい従兄弟達、叔父叔母と家の手伝いをするということで話は付いていた。

お金はバイトしたけど恵まれた環境だったので、学生の身分でたっぷりとアメリカを楽しめた。有り難い。

円高時のアメリカ

計画してからお金を貯めてバイトに明け暮れる勤労学生になり、試験はギリギリでなんとか単位を取っていた。

当時は対ドルが円高で、正確には忘れたが1ドル100円で計算すればよく、およそ計算は楽だった。旅費は一人40万円近くを用意した。

航空チケットはハイシーズンで往復20万円はしたと思う。後から分かったことだが、8月上旬で飛んだ日はその年で一番高い日だった!

それでもチケットは叔母がアメリカから購入してくれたので、日本から買うよりも安かったハズ。恐らく25万円以上はしたシーズンだったと思う。それにユナイテッド航空だったこと、西海岸で1回トランジットはあるチケットだったため費用を抑えられた。(JALは高かった)

トランジットの話は色々とあったのだけど、それはまたの機会にする。

円高だったから、当時のアメリカではなんでも安く感じることができた。ちょうど今とは全く逆の経験だった。

自動車大国

アメリカで最初に驚いたのは車社会だ。

先ず道路が広い。というかデカい。駐車場も軽なら2台停められそうな余裕があった。そして走っている自動車がトヨタ、トヨタ、ホンダ、ホンダ、ニッサン。日本と同じで驚いた。やや古い年式が多かったのも、当時からすると80年代の雰囲気がした。

確かに米国産のフォードやシボレー(GM)も多かったが、探さないとならない。かと思えば、1960年代のキャデラック(それもピンク)にご高齢の夫婦がサングラスと麦わら帽子で乗っていたのにも驚いた。

道路は基本としてハイウェイが主になるので、1時間といっても距離は相当に離れている。日本の東京とは時間の意味が違った。

極めつけは、ドアが閉まらないから手で抑えて走っている車や、車の全窓のガラスが無くて、透明のビニールを貼ってバタバタと音を出して走る車、若い女性がクラクションを鳴らしながら中指を立て、威嚇しながら料金所(トールゲート)へ割り込んでくるなど、ただ走るだけで驚きの連続だった。

いくら不況の日本でも、流石にここまでにはならないが、人種のるつぼのアメリカでは普通らしい。

そう考えると、日本は多くの国民が経済的に苦しくなっていてもまともだ。民度が高いことは誇っていいと思う。ここは日本が当時から大きくは変わっていない部分だ。

ダラーショップ(Dollar Shop)

1ドル、全品ワンダラーという定額の商品を販売するお店を初めて利用したのもアメリカだった。この数年後に日本でも100円ショップが登場するのだけど、最初は全部1ドル?と驚いた。

今思い返せば、ほとんどがプラスティックでできた商品で、色も原色のものばかり。買い物客は白人1人に対して黒人が5人程という比率だった。自分たちアジア人がそこに入るから「1:2:5」か。

現代の外国人が日本の100円ショップに狂喜乱舞するのは想像に容易い。チャチな商品でも全て1ドルに目から鱗だったからだ。

品質については、80年代のジャパンアズナンバーワンが強く残っていた時代でもあり、出会うアメリカ人の皆が口を揃えて日本製品を絶賛してくれた。

日本はどこにある?

外国人がスマホを片手に日本を訪れて感嘆する話はよく聞く。スマホで翻訳もできるから、意外とスムースに旅を楽しんでいるみたいだ。

事前に調べてくるから、難しい地名を知っていたりもするし、日本人でも好き嫌いが分かれる食べ物を口にしている。

1993年当時、どこから来た?、日本と答えると日本を知っているというアメリカ人はほとんどだった。

何を知っているか聞くと、あまり正確には日本を知らない人ばかりでもあった。

アメリカ人は自国しか興味がないことはこの時既に知っていたから驚きはしなかった。それでも少し期待していただけに残念な気持ちにはなる。

当時、よく会話の中で訊いていた質問を並べてみる。

黙って指さすのは中国の端っこだった。

キヨートー(京都)

まぁ、明治維新の前なら正解か。

スシ、テンプラ、ライス。

料理でライスって間違いではないけどね。

ミフネ、ヒロヒト、オノ・ヨーコ

1960年代か?というくらい。しかも昭和天皇も入っていた。

誰と会話してもこんな感じ。

年齢が上がるにつれ同じような回答だった。

流石に若い人は知っているだろうと十代の子には期待したけど、東京を知っているぐらいで、日本は中国の県だと思っていた人ばかりだった。(そういう教育ってわけでもないだろうが)

この時の会話を思い出すと、現代の日本はよく知られているなと思うし、和牛や和食、カワイイを筆頭に、日本語もそのまま知られるくらいで、だいぶ有名になったものだと思う。

これはネットとアニメのチカラが大きい。

特にコロナ禍の自粛で、ネットくらいしかなく、検索したりアニメを観たりされたのだろう。

最後に

コロナ禍後に訪れる外国人に、日本は安いだとか、組織化しているとか、長い文化に言及されるけど、中でも日本は安いという言葉に違和感がある。昔はアチラがお安い国だったこともあるのにな、と。

それにだいぶ等身大の日本が知られるようにもなった。

93年のアメリカで経験したように、日本のことを知らないまでも出会った人はフレンドリーだった。不況だったと思うが皆が明るかった。

すべては国民性が違うからともいえるし、なんとかなるさといった楽観的な雰囲気は好きだった。今のアメリカはどうなんだろうか。

たくさん外国人が日本に来てくれる喜びの反面、犯罪をはじめ迷惑な外国人客も増えてしまった。1990年代よりはマシだけど、もっと独特な日本文化を知った外国人客が訪れるのは何年後なんだろうか。

別の機会に書きたいが、忍者の話も面白かった。偶然に出た話だったのだけど、旅行中に面白いから自分たちから話題として忍者ネタを振っていた。流石にネットとスマホのある生活では有り得ないから、とても貴重な体験だったと思う。

この記事が読まれるようになったら、忍者ネタを含め続きを書きたい。


同じアメリカ旅行のネタは、試験的に開設したnoteでも綴りました。